桑山 貞寄 (くわやま さだより)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。
経歴
桑山貞晴の四男として生まれる。寛永13年(1636年)、兄・貞利の臨終に際して末期養子となることを希望したが認められず、所領を収公された。その後、寛永15年(1638年)12月25日に貞利の旧領のうち大和国葛上郡・葛下郡の名跡を継ぐことを認められる。寛永16年(1639年)6月に書院番となる。承応元年(1652年)9月25日、目付代として米沢藩に赴いた。明暦2年(1656年)7月28日に使番となり、12月26日に布衣の着用を許される。明暦3年(1657年)屋敷奉行となって屋敷割の役目を務めた。寛文元年(1661年)5月1日、仙台藩に赴いて国目付を務める。寛文6年(1666年)3月1日山田奉行となり、12月28日に従五位下丹後守に叙任される。貞享元年(1684年)2月4日に職を辞して寄合に列し、7月19日に致仕した。元禄13年(1700年)9月25日、88歳で死去。
系譜
- 父:桑山貞晴 (父)
- 正室:屋代忠正の娘
- 長男:桑山元稠 (長男)
- 長女:仁賀保誠尚室 (長女)
- 次女:堀直依室 (次女)
- 三女:都築為常室 (三女)
参考文献
- 『寛政重脩諸家譜』第6輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 96コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082716/1/96 (参照 2024-06-23)




