美濃部 又五郎(みのべ またごろう)は、幕末の武士。常陸国水戸藩側用人として藩主慶篤を支えた。墓は江林寺墓地(祇園寺)

経歴

名は茂定、後に亨。文政2年(1819年)、常陸国にて美濃部茂政の長男として生まれる。嘉永3年(1850年)に家督を相続。文久元年(1861年)、水戸藩と長州藩の連携を図る。同3年(1863年)、側用人に昇進。元治元年(1864年)に起こった天狗党の乱では、田丸稲之衛門らの説得を図っている。水戸藩で諸生党が実権を握ると捕えられる。慶応元年10月25日(1865年12月12日)、刑死した。47歳没。大正4年(1915年)、正五位を贈られた。

脚注

参考文献

  • 『明治維新人名辞典』日本歴史学会編、吉川弘文館、1981年。

関連項目

  • 尼子長三郎
  • 田丸稲之衛門

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中村又五郎、歌昇、種之助が『車引』の三兄弟を初めて勤める 二世中村吉右衛門三回忌追善にて の画像・写真 ぴあエンタメ情報

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前列真ん中が美濃部少佐(『五月の蛍』より)

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