長谷川 重成 (はせがわ しげなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。

略歴

長谷川重矩(越中守)の次男として生まれる。はじめは斎藤龍興に仕えていたが、後に織田信長に仕えた。天正3年(1575年)6月11日、旧領の美濃長森の二百貫文の地が兼松正吉に与えられているが、没収されたのか、移封なのかは明らかになっていない。後に羽柴秀吉の家臣となり、1,500石を与えられ黄母衣衆に列した。

その後、九州征伐に従軍、文禄元年(1592年)の朝鮮の役では肥前名護屋城に駐屯し、本丸の警備にあたった。慶長5年(1600年)の会津征伐では徳川家康に従軍、関ヶ原の戦いでは主力戦に参加し、戦後は徳川家に仕えた。

慶長8年(1603年)6月18日、死去。

脚注


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